小清水原生花園


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■ 野焼きの歴史的背景

国定公園指定の頃の原生花園

 小清水原生花園は,オホーツク海と濤沸湖に挟まれた細長い陸地に広がる草原です.濤沸湖はもともとオホーツク海の入り江だったのですが,潮の流れによって運ばれた砂がだんだん湾の入り口に堆積し,海から切り離されてできあがりました.この砂州がオホーツク海と濤沸湖に挟まれた細長い陸地の正体です.人がこの地域に住み着く以前は,このような自然の力だけで草原が維持されていたと考えられます.塩分を含む強い風や強い直射日光にさらされ,また,今よりももっと海からの砂の供給が多かったでしょうから植物が侵入しては砂に埋まるということをくり返していたはずです.
 人が入植してからは,この草原に鉄道や道路が敷設され,家畜の放牧もおこなわれるようになりました.釧網本線には蒸気機関車が走り,しばしば火の粉が飛んで野火(草原の火事)が発生していたようです.また,牛馬が草を食べたり食べ残したり,蹄で草原を踏み荒らしていたことでしょう.このような草原に対する攪乱の要因が草原維持に深く関わっていたと想像できます.おそらく公園に指定された頃の小清水原生花園では,河川改修の影響で砂の供給量が減る一方で,放牧や野火といった人為的な攪乱が強くなっていたのではないかと考えられます.そのような自然に対する干渉がバランスよく存在していたために,原生花園景観が良好な状態で維持されていたのだろうと推定しています.この時代のことを知っている人は「一面花だらけだった」とか「汽車の窓からでも花の香りが嗅げた」などと証言します.よい思い出だけが鮮明に残っているということを差し引いても,相当に美しいお花畑が広がっていたことが想像できます.
 小清水原生花園は1958年に「網走国定公園」に指定されていますが,指定された当時,オホーツク海に面した砂丘側の植生景観は優占種のハマニンニクに加えて,ハマナス,エゾキスゲ,エゾスカシユリ,ヒロハクサフジ,ナミキソウなどの美しい花を咲かせる植物の優占度が高まった状態でした.濤沸湖に面した湿地側でもヨシのほか,やはり美しい花を咲かせるヒオウギアヤメ,ノハナショウブ,センダイハギなどの植物が咲き誇っていたと考えられます.

自然再生に取り組む必要が出てきた頃の原生花園

 小清水原生花園の全域で1980年頃からナガハグサ(ケンタッキーブルーグラス),オオアワガエリ(チモシー),カモガヤ(オーチャードグラス),コヌカグサ(レッドトップ)などの外来牧草がはびこってしまい,原生花園の美しい景観が損なわれてしまいました.「どこにも花なんか咲いてやしない」,「花いっぱいの原生花園なんて詐欺だ」という観光客の声が多く聞かれたのもこのころです.このような衰退の原因がきちんと特定されているわけではないのですが,いくつかの要因が複合的に働いていたようです.
 人の干渉が始まってからは,さまざまな攪乱要因が原生花園に働いていたわけですが,1970年代からそれらの要因がしだいに排除されることになっていきます.公園指定以前は海岸に点在する漁師の番屋に漁船を引き上げるための馬などが砂丘のあちこちに放牧されていたらしいのですが,エンジンで動くウィンチの普及とともに馬を放牧しておく必要がなくなりました.また,1925年から1975年までは砂州上の釧網線を蒸気機関車が走っていたのですが,1975年以降はディーゼル機関車にとって代わったため,機関車から放出される火の粉が原因の野火がなくなってしまいました.畜産として牛の放牧をおこなっていたこともあったようですが,病気が原因で放牧を取りやめてしまいました.それに周辺の河川改修が進んで砂州への砂の供給が減ってしまったことなどが重なり,原生花園の衰退を招いてしまったようです.一次遷移系列の自然植生として成立した海岸草原ですが,かつては適当な攪乱の存在が原生花園の景観を維持してきたわけで,この時代に攪乱の要因が排除されたことで景観が変貌してしまったようです.一見するところ原生花園を痛めつけているように見えるこれらの要因が,原生花園の維持に不可欠だったようです.

自然の再生を目指す

 小清水町の重要な観光資源だった原生花園の景観が荒れ果ててしまうことは,小清水町にとっての死活問題でした.町議会では原生花園の再生が議論されるようになっていき,そのような危機意識の高まりにより,小清水町は1983年から1987年まで伊藤浩司北海道大学教授(当時)に原生花園の植生回復について研究を委託しています.調査委託を受けた伊藤教授のもとでは,原生花園のうちの濤沸湖側にひろがる湿地部分の野焼きがおこなわれましたが,砂丘側の野焼きがおこなわれることはありませんでした.また,現在おこなわれている野焼きが4月下旬頃なのに対し,その時代はもっと早い時期,つまり土壌がまだ凍結している4月はじめに野焼きをおこなっています.その理由としてもっとも大きかったのは,日本ではオホーツク海岸の草原にしか生息しないカラフトキリギリスという貴重な昆虫への配慮で,カラフトキリギリス保護の観点から「野焼きなどとんでもない」という意見が多い時代でした.
 長年にわたって野焼きを繰り返してきた多くの半自然草原とは異なり小清水原生花園には火を入れた実績が無かったため,野焼きの実施には科学的な根拠が必要でしたが,伊藤教授の野焼き試行では科学的なデータが十分とは言えない状態でした.1990年に今度は北海道が辻井達一北海道大学教授(当時)に原生花園の再生について研究委託をおこないました.冨士田や津田を含むこの時の研究チームでは,野焼きを実施した時の生態系に対する影響が短期間では結論づけられないとして,小面積の火入れ実験を自己資金で引き続き2年間おこないました.