元 々 粗 忽

We're on a road to nowhere.
(from "Road to Nowhere" by Talking Heads)
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2004-12-30
 研究室にくるのは年内は今日が最後.大晦日と三が日を休む.
 2004年,ちょっとサエん年だった.2005年はもっと充実した年にする.

2004-12-29
 毎年恒例の"琵琶湖でカモをみながら鴨鍋を食べる会"に行ってきた.残念ながら雨が降っていたため観察はそこそこにして,室内で鍋.アイガモとマガモを食べ較べた.マガモは皮下脂肪が厚くてうまかった.火を通したときにマガモの赤身はふっくらやわらかく膨れるのが不思議だった.アイガモはそんなふうにやわらかくふくらまなかった.
 滋賀出身在住のケイタくんが自家製のふなずしを持ってきてくれた.ごはんだけでなく酒粕を少し入れるのがケイタくんの家のオリジナルらしい.市販のふなずしよりもうまみが濃い.聞けば何年か漬け込んだものらしい.ええものをごちそうになった.
 満腹になったころ,外に少し晴れ間がさした.好機とばかり双眼鏡や望遠鏡を携えて散歩にでかけた.ヨシ原や農耕地の上空を飛ぶハイイロチュウヒの雌やノスリを見ることができた.湖面にはオオバンがたくさん浮かんでいた.
 ふと東をみるときれいな虹がでている.しかも2本.これがずいぶん不思議な虹だ.ふつう,2本の虹が出るとき,それらは同心円状にでき,しかも色の並び順が内外逆になる.これらは主虹と副虹とよばれるものだ.虹の中心は太陽と観察者の視点の延長上にある(水平より下)のがふつうだ.ところがこのとき見えていた二つの虹は中心がずれているし,どちらも色の並び順が同じ,つまりどちらも主虹.ふたつのうちやや弱いほうの虹の中心はどうやら水平よりも上にある.しばらく見ていて気が付いた.虹を見ている私達の目の前には湖面がある.中心が上のほうにある虹は水面に反射した太陽光がつくりだした虹らしい.そのうちに太陽光が直接つくった方の虹に副虹ができはじめ,合計3本の虹がかかった.眼福.

2004-12-27
 通学に使っている単車(1989年製)のオイル交換をしたら,排油に混じって部品のかけらが出てきた.サークリップの破片らしい.エンジン内部でたいへんおそろしいことが進行しているのではなかろうか.

2004-12-25
 徳島往復以来くるま(1987年製)の調子がおかしい.アイドリングが不安定だし,走行中にもエンジンがとまりそうになる.失火の症状だ.このくるまはちょっと古い車で,点火系にポイント式という古い機構を採用している.ここの調整不良だろうと見当をつけてしらべてみた.「オートメカニック」という雑誌のバックナンバーを出してきて,点火系のしくみを勉強してから調整してみる.あんがい簡単.車はみちがえるほど元気になった.
 こんなふうにうまくいったときはとてもうれしい.はんたいに,いじりこわしてしまったときは筆舌に尽くせぬほどかなしい.かなしい思いを山ほどしているので,うまくいったときのうれしさがひとしおである.

2004-12-22,23 流研センター忘年会@高山試験地
 22日午前中,COEのセミナー.昼に出発.おでんの具材を買いながら北上.例年,忘年会のころには深い積雪に埋もれている試験地だが,今年はぜんぜん雪がない.到着するやいなやおでん30人前を調理.出来上がるとすぐに呑み会.この日のためにとどけられた数々のお酒,北海道からはジンギスカン.あーうまい.あーたのしい.気づけば宴の会場の片隅で毛布にくるまっている.いつもどおりの展開.惜しむらくは呑みの最後まで起きていられなかったこと.マキさんのつくった泡盛の牛乳割りがイカンかった.かなりイカンかった.にどとのまんぞあれは.
 翌23日,あとかたづけをして岐阜に戻る.国道41号下呂経由で帰る.せせらぎ街道で帰ったminacoさん(仮名)によると西ウレ峠は積雪があったらしいが,国道41号は雪など無く快走できた.途中,秋山研の爆弾娘オススメのうどん屋で味噌煮込みうどんを食べた.うまかった.一串100円の味噌カツも注文.かぶりついたら口蓋に火傷を負った.口に広がる血は鉄棒やハーモニカと同じ匂いがする.

2004-12-19,20 徳島
 徳島の調査地に今年はぜんぜん行ってない.今年は台風の当たり年だったので,低頻度の大きな攪乱を観察するチャンスだったかもしれない.台風からはずいぶんたつが,海浜がどのように変化したかをともかく見てみようと思い,行ってきた.ついでに調査地に置いてある温度計ロガーのデータ回収と,もう使わないと決心したコドラートの回収をした.ほかに,"仕込み"中のあるものを点検をした.さらについでにラーメンとうどんをたべまくった.

 最前線の海側斜面(コウボウムギが優占していたところ)はその大半がごっそりと侵食されていた.砂丘頂部から内陸側の防潮堤にかけて(コマツヨイグサが優占していたところ)は数十センチの厚さで砂が体積していた.ここはここ数年地表面の変化がなかった場所だ.さらに背後の防波堤の直下にはおびただしい量の流木が流れ着いていて,波浪が海浜全体を乗り越えたことを示していた.

 数十センチの堆砂を掘り返してコドラートの杭やロープを回収したが,2割くらいはどこに埋まっているのやら見当がつかなかった.海浜ごとながされてしまったものもあった.流木は地上だけでなく地表面下にも大量に埋まっていて掘り返すのに難儀した.もしいつかバリケードをつくる必要に迫られたら,材木や椅子・机を積み上げた上から海砂でうめてやると相当強固なものができると思った.もっとも砂を運ぶのは並大抵ではない.そのまえに,バリケードを作る必要にせまられることがあるのか.いやいや.世の中はわからない.

 温度計ロガーもまた砂と流木に深く埋もれていた.掘り返して回収."仕込み"を囲む柵はこわれていたので補修した.次は3月に行って"仕込み"を回収しよう.そのときには調査地からすべてを撤収することになる.柵の杭は長さ180cmあるのでそのままじゃ車に乗らない.ノコギリをわすれずに持っていこう.

 研究室へのお土産に芋菓子やうどんやらーめんを買う.家へのお土産にはコウイカ(ハリイカの名で売られていた).2杯で300円.鳴門は魚介類がやすくておいしくてたまらん.一部を刺身で食べて,のこりを塩辛にした.

2004-12-13
 投稿.

2004-12-11 応用生物科学部探鳥会
 探鳥会で滋賀県湖北地方へ.詳細はこっちのページにて.
 探鳥会のあと,長浜の地ビール屋でちょっとした呑み会.おいしい料理とビールがうれしかった.解散後,北国街道の起点である長浜の町を散策し,JR長浜駅のとなりに保存されている旧国鉄長浜駅舎と日本で最初の交流電気機関車を見学した.古い機械のもつ文化財的価値,生きた技術史資料としての価値は計り知れないと思うが,よい状態で保存されているものは少なそうだ.すごく古いものは大事にされるが,"ちょい古"物件はないがしろにされがちだ."ちょい古"のときに捨てられたり解体されたり朽ちたりして,死亡率が高くなるのだろう.

2004-12-10
 秋山研の呑み会に参加.めでたいことが重なった酒ということだ.たしかにめでたい.sakaiの行く先が決まったらしいし.
 今日こそ届くとおもっていた文献がとどかなかった.図書館にはもうとどいているらしいのに.
 今週はまだいろいろ文献をよんですごしたが,これではらちがあかんということがわかってきた.来週はデータをみて,論文のすじがきをつくる.

2004-12-06
 投稿しようとするが,ひとつ孫引きの文献が入手できていない.まつ.

2004-12-04 生態学会中部地区会
 ブナ林の成因に関する種生態的な話.種子の発芽とねずみの食害に関する実験の方法が説得力があっておもしろかった.懇親会でかなり呑む.

2004-12-01
 応用生物科学部に伊藤先生の講演を聞きにいく.水田生態系での魚類の多様性に関する話.現地での観察結果から,重要なのは水路のネットワークだけでなく,越冬地・繁殖地の確保であるという指摘.平成に入ってからの「汎用化水田整備」がもたらす生物多様性への影響,など.おもしろい話をきくことができた.水路の生物多様性について,生態学の専門からのアプローチではなく,灌漑排水を専門とする立場からのアプローチだからこそ見えるなにかがあるのかもしれない.質疑応答の際,休耕田を用いた魚類の保全の実験について,「目標像はなにか」という問いがあった.これに対し,ここではとくに定めていないが,一般的にはビオトープの設計にあたっては,目標とする種を設定するのだ,という回答だった.しかし,この研究の場合,目標を種ではなく,水田の生物群集そのもの,多様性そのものに置くべきだろうと感じた.実務レベルでは,なんらかの指標種を目標とおくのが現実的と思うが,この研究の場合には,多様性保全・群集の保全という視点から,様々な環境項目(たとえば冬季の水深とか)について,多様性を維持するための低減律のようなものを作れるのではないだろうか.

 ここんとこ毎夕方,セキュリティホールをうめる作業.流研センターの建物は,夜間や休日は自動的に施錠される.玄関の自動ドアは中からは開くが外からは開かないつくりになっている.ところがちょっとした道具(そのへんに落ちているような)を用いると,外からでもこの自動ドアを開けることができる.なんとも情けないセキュリティホールが開いているのである.これをアルミ板とリベットで埋める作業をやっている.ドアの枠のステンレスに電動ドリルの刃が立たず苦戦→買出し.そんなことを繰り返し.なんぎな.

2004-12-02
 村岡さんに英語をみてもらった.ありがたや.

2004-11-下旬
 論文,おおむねOKをもらったので,英文アブストラクトをつくる.うまい英語がかけないが,ごりごりやってりゃ行は埋まるというものだ.ええ?それでええのか?

2004-11-25
 再々提出.おおむねOKをもらう.

2004-11-23
 休日.敦賀へイカを買いに行く.秋の若狭といえばアオリイカだ.秋も深まったというのにまだ食べていない.小ぶりのものを2杯買って来て,胴は刺身で,げそはてんぷらにして食べた.ちょっと甘みのあるうまみが,半熟の卵黄のようにねっとりと舌にからみついてきてたまらん.あまうまねっとりである.敦賀といえばソースカツ丼も気になる.今回は時間があわずに断念したが,近いうちソースカツ丼食べに再訪したい.食い気だけか.

2004-11-20 応用生物科学部探鳥会
 ひさびさの探鳥会で岐阜大の近所をあるく.詳細はこっちのページにて.

2004-11-18
 ボスに出していた論文原稿にコメントがついて帰ってきた.修正作業開始.まだけっこうダメダメ.でも初稿よりはマシになっているとのことなので,後退していないだけよしとしよう.
 ここ数日,もうひとつの論文のために文献を読んだりあつめたりしていた.100年間の埋土試験の論文,永続的シードバンクを定義した論文.いまごろコピるなっていうな.
 自分で研究をはじめたころには知らなかったが,ある程度まとまってきたときにカナダのオンタリオ大学のMaun博士のことを知った.五大湖周辺の砂丘で個体群や種子について精力的に論文を出しておられる.さいしょにみつけておけば.っていう気もしないでもない.
 文献をみつける技能は研究をすすめるうえで不可欠だが,なかなか上達しない.自分は上達していないが,有用な道具だけはどんどん整備されているのでなんとかなっている感じがする.

2004-11-13
 各務原の高校で種子の授業(授業をするのはボスでぼくは手伝い),最終回.この2週間のあいだに高校生たちはしっかりとハンドソーティングで種子をとりだしていた.やるねえ.この日の授業では,埋土種子の役割と山火事のあとの植生回復に関する講義,埋土種子の同定作業,高校の近所の山にある2年前の春の山火事跡の見学をおこなった.あさ9時から夕方4時までみっちり.
 山火事跡まではマイクロバスでわずか10分程度の行程.短い時間なのに落ち着きのない男子高校生たちはバスに乗るなりトランプを配り始めて,どういうわけかぼくは巻き込まれてバスのなかで大富豪.聞いたこともないローカルルール.一瞬で車酔い.

2004-11-08
 内モンゴルからの留学生、銀ちゃんに頼まれていた英文和訳をやっつける。数週間前に以下のようなやり取りの末に引き受けたものである。
「サワダさん、ちょっといい?英語を教えてください」
「はい。どれですか」
「えっと、ここから」ぺら、ぺら、ぺら「ここまで」
「ここから」ぺら、ぺら、ぺら「ここまでのうち、どのへんが分からないのですか」
「全部。もうぜーんぜんわかりません」
「じゃあ、どういうふうに教えてほしいの」
「日本語に直してください」
「えっ、マジで?ここから」ぺら、ぺら、ぺら「ここまで、って銀ちゃん、6ページもあるよ」
「えええええ?そんなことないよ。だって、こことここは図でしょう」
「でも5ページもあるよ」
「これはサワダさんの専門分野ですね。これはサワダさんには簡単。でも、わたしにはぜーんぜんわかりません」
「………」
「あれ?サワダさん、これ何?」
「どれ?」
「この、足の」
「足って、ぼくの?これ?すね毛ですか?」
「そー、すね毛です。サワダさんのすね毛、こわーい」
「すね毛がこわいですか」
「こわーいですぅ。じゃあサワダさん、英語、おねがいしますねー。」
 サカイは押しの強いひとに弱いらしいが、ぼくも同じかもしれない。だいたい銀ちゃんには、内モンゴルのめずらしい食べ物で餌付けされてしまってるので、簡単には断われない、というやむにやまれぬ事情がある。まあ、自分の分野の英語をよむのはたいして労苦ではないし、まったくのムダでもないからいいけど、読むだけじゃなくて日本語に訳すってのがめんどくさいっちゃーめんどくさい。ところが訳し始めると、読みやすい日本語にしようとか、いろいろ楽しんで作業に没頭してしまう。没頭するなよ、って自制してもなお。
 成果品を銀ちゃんに渡したら感謝してもらえた。そして、こんど肉饅をつくってきてくれるってことになった。肉饅(関西人としては豚饅といいたい)は大好物の一つなので、かなりうれしい。けど、もしかすると、これはまたあらたな餌付けかも。

2004-11-04
 朝、研究室にやってくるとボスからの伝言があった。2限目の授業に15分くらい遅れるので、教室に行って学生にその旨伝え、ついでに植生遷移について15分間しゃべっておくように、と。マジっすか。2限の開始時刻まではあと40分あるけれど、自分の事務的な用事があったりするので、準備する時間はまったくない。ともかく学生のいる教室へ出かけていって、海浜植生の遷移について講義をした。よく発達した植生にはゾーネーションがみられること、地形と植生の発達が相互作用系であること、初期の侵入の多くが海流散布によるというところがキモであろうか。20分くらい話して「では津田先生がくるまで静かに自習しておくように」と言い残して逃げようとしたら、ボスが教室に入ってきた。無事、かどうかは分からないけどミッション完了。
 昼、講義からもどってきたボスは「やっぱり関西人はこういうときには、とりあえずしゃべっとこうと思うものなんだな」、と。そういう風に思われてるのか?関西人というのは。
 午後は昨日とってきた標本を押したり、文献をよみかけたり、秋山研タナカ君の学会発表の練習につきあったりしていたらおわっていった。

2004-11-03
 よい天気だし祝日だしってことで、近所の低い山に登る。イワカガミの花が咲いていた。返り咲きってやつか。この山には8〜9世紀ごろに創建された古い寺がある。本堂は昭和56年の豪雪でつぶれてしまって、いまは山麓にひっこしている。山の中ほどに本堂の跡がのこっている。なんとか建て直したい思いはあるらしいが、実現していないようだ。この寺を開いた僧侶は空を飛べたと言い伝えられていて、そのため、飛行機の安全を祈願しに訪れる人が多いらしい。おもろいなあ。本尊の"空中飛行観音"を見てみたいものだ。

2004-11-02
 午後、各務原の高校での授業のつづき。高校生たちに埋土種子の直接検出法を伝授する。これがまたちまちまちまちました作業の連続なので、高校生だったころの僕にはまず耐えられないであろうという内容だ。授業をうける高校生はまじめにとりくんでいる人と、完全にあそんでる人がいる。作業の要領がよい人があれば、笑ってしまうほど要領のわるい人がある。おおむね真面目な人が多く、質疑応答のときにはたくさんの質問が出た。中には「種子の大きさが植物によっていろいろ違うということだが、そのことと植物の芽生えにはなにか関係がありますか」というような、イッツグッドクエスチョンがあった。やるねえ高校生。一方で「大学が独立法人化されましたが、なにか変わりましたか」っていう、どっち向いてんだかわからないような質問もあった。これに対するボスの返答がまた直球で、「研究費が減りました」って。

2004-11-01
 朝早く大阪港に入港。フェリーを降りてまずは家を目指す。ガソリンがそろそろ無くなりそうなので買いに行くが、手持ちがとぼしく満タンにできない。朝ご飯を我慢して700円分のガソリンを購入。思ったより少ない量しか買えなかった。家までの距離を考えると帰れるかどうか微妙なところ。なるべく加減速を控えて定速走行し、なんとか家までたどりつく。おうちにつくまでが学会(この言い回しはもう飽きてきたな)なので、これにて学会は無事終了。
 荷物を解いて洗濯して、こんどは岐阜へ。各務原の高校でうちのボスがタネの授業をやる、そのおてつだいだ。今日は高校の周りの休耕田や二次林で土壌のサンプリング。この土壌から埋土種子を検出しよう、っていう授業だ。参考資料用にと、まわりに生えてる植物の果実や種子をあつめておいた。今回あつめた水田雑草の種子は粉砂糖のように小さなものが多い。海浜植物ではありえない小さな種子だ。

2004-10-31 植生学会 in 宮崎 (3)エクスカーションには行かずに調査
 植生学会は今日はエクスカーションだが、ぼくは申し込んでなかったので不参加。個人的にはもう植生学会はおわった。宮崎で調査をするという橋本君@兵庫県博をてつだうことにした。朝、雨の中、ホテルまで迎えにきてもらって、調査予定地3箇所を車でまわりながら、対象種を探す。昨夜、ホテルの冷房の切り方がわからず(正確にはよっぱらっててスイッチを探すのがめんどくさくてそのまま寝てしまった)ちょっと風邪気味なのか、あたまが痛いが、昼飯をたべたら元気になった。昼飯には郷土料理の店で「冷汁定食」をたべた。宮崎といえば冷汁でしょう。この味噌がたまらん。
 4時前に調査を離脱し、お土産を買ったり、ちょっとバイクで青島まで行ってみたり、砂浜で貝殻を拾ったり。宝貝がいっぱい打ちあがってるのがうれしい。おみやげは麦味噌。南四国や南九州の麦麹の味噌はとても甘い。この甘さが苦手という人もいるけれど、慣れるとヤミツキになる。東海の豆味噌とあわせて鍋料理などすると、また一風かわった風味がたのしめるのでオススメである。
 フェリーにのったら、エクスカーション帰りの神戸大の学生が3人いて、照葉樹林でとってきた標本を押している。ああ、いいなあ。照葉樹林にいきたくなったな。もう一日滞在したかったが、でも用事があるのでかえるのだ。

2004-10-30 植生学会 in 宮崎 (2)学会参加の主目的は飲み会に設定されるべきか?
 9時20分の講演A02に間に合わすためにオートバイごと船にのったというのに、低気圧のために船が30分遅れた。天気のことなのでしかたがない。9時10分に下船。予報どおり雨はやんでいたので合羽を着ないで走り出したら10分もしないうちにどしゃぶりになった。これはヌグフルの法則である。キルヤムとならんで、バイクツーリングにおけるマーフィとして有名。で、学会会場についたのはちょうど講演A02がおわった時間。残念。
 午前中は、空いているうちにポスターを見に行って、そのあといくつかの気になる講演を見に行こうと思っていた。ところが、ポスター会場でのディスカッションに夢中できづいたら講演の時間がすぎていたり、恩師の一人であるH先生に誘われて早めの昼ご飯を食べてるあいだに講演を聞き逃したりして、午前の部では聴きたい講演を3つ逃した。そんなことでええのか。ええねん。宮崎大学生協のカレーライスは並盛りでもけっこう量が多くて、ルゥには具がいっぱい入っててうまかった。しかも220円。うれしいねえ。午後は事前にチェックしていた講演をすべて聴くことができた。ただし、興味のあるのがA会場B会場で重なることが多く、そういう場合は苦渋の選択を迫られた。以下は印象にのこった講演やポスターに関するメモ。自分が見た順。みたかったポスターをひとつ見逃した。混んでるからアトで、と思っててそのままになることはよくある。僕の場合。

P08  種子供給源からの時空間的距離と種組成をみたもの。神戸大の謎のOBまっつーこと松村さんの発表。面白いデザインの研究で、あざやかな結果。たのしくディスカッション。種子供給源についてはコドラートだけでなくフロラを見たほうがよいと思った。
P11  僕も行ったことのある淡路島の海浜での植生と立地要因に関する研究。海浜仲間の笹木さんによる。ツインスパンとDCAでキレイに分かれた結果は、現地を知るものとして納得できる内容。笹木さんはここから海浜管理のモデルに発展させたいとのことだけど、うーむ。どうしたらできるだろうか。
A10  西表の照葉樹林の地形・土壌水分と種組成・多様性に関する研究。すごい労力をかけて詳しい解析をしていて圧倒される。尾根のほうが谷より多様性が高いという。石田君@兵庫県立大の見解とは違うようだ。どうしてだろう。気になったことふたつ。グリッドセルのサイズが10m×10mだけど、このサイズをもっと大きくしても結果はおなじなのだろうか。出現頻度の上位31種(全出現種の約1/3)を対象に解析しているが、もし尾根のほうが種数が少ないとすれば、尾根にはおなじメンバーが何度もくりかえし出てくるために、尾根の種が高頻度種としてでてきやすいということはないだろうか。
P10  「はげプロ」で男鹿でやろうとしていることに割と似ているので気になっていた講演。休眠芽の位置と火入れの影響がくっきりでていた。遮光条件下での生育試験もフィールドの条件に合っていてよい感じだ。こんな風に、群落を特徴づける種を対象として、その生態的特性を詳しくみるような研究にはわりと惹かれる。この研究室は火入れと刈り取りによる草原維持について、ほかにもいろんな研究をおこなっているので、今後も目がはなせない。
P18  ススキやチガヤが牧草として十分な栄養をもっていることを示すもの。これらの在来イネ科草本と外来牧草とを比較したらどうなんだろう。英語の発表だったけど、質疑は日本語でできた。でもがんばって英語で質問すればよかったなあ、と反省。
A11  大阪北部の山林利用の歴史を踏まえて、現存する森林植生をみたもの。ここ500年くらいの人為の影響が現在の植生を理解する上で有効だということがよくわかった。また、古い記録を植生学に活かすという視点は、ついこないだの生態学会in釧路のアグロエコロジーで聞いてきたこととも一致していて、その点でも興味深かった。
B13  人工衛星からのリモートセンシングによる植生の判読に関する講演。衛星がらみの情報はなるべく積極的に仕入れようとおもっているので聴いた。eCognitionって高いのかなあ。
B15  美唄湿原の復元実験。排水の影響を排除するには排水溝の効果を殺すのがよさそうなので、僕はつい矢板なんぞを打ち込むことを考えてしまう(←乱暴)。発表では地表付近にトレンチを設けてそこから水を供給していたが、あれだと水はトレンチの下を横断して排水溝へと移動するだろうと思った。トレンチからの潅水に用いる水が農業用水であることを懸念する声が会場からいくつか上げられていたが、ぼくもそこが気になった。トレンチ周辺に、研究の対象とした種以外で、種組成の変化が生じていないだろうか。

   市街地のホテルにチェックインしてから歩いて懇親会場へ。今回の学会もすばらしいホスピタリティだ。お酒をのみつつ歓談していると、大会事務局の方々への感謝のキモチがわいてくる。会場のすみからすみまで見通せる。このアットホームな感じが、生態学会とは異なる植生学会の魅力だ。おいしい食事を堪能していざ二次会へ。
 神戸大の武田先生、長崎大の中西先生、奈良の前迫先生、そして神戸大武田研の学生とOBというメンバーでこぢんまり。台風が植物や植生にあたえた影響などについて話しをする。居酒屋のショーケースのなかの「ヤガラ」の口がへんに印象にのこったりして。二次会がおわって11時すぎ。
 東京農工大の友人をケータイで呼び出して3次会に突入。農工大の蛭間さんは今回も熱い。今年は夏の生態学会からあまり間をあけずに植生学会があったので、つい最近呑んだばっかり、みたいな感じでオトモダチ感が増す。3次会が終わった時間はもうわからない。農工大の面々とは宿が近所だったので、みんなで千鳥足で歩いて帰った。

2004-10-29 植生学会 in 宮崎 (1)粗忽が温室効果ガス排出量に及ぼす影響。
 今日は学会への移動日。船に乗るのは夕刻なので出発は昼過ぎでよい。午前中はオートバイを整備して遊ぶ。なんだかツーリングに行くみたい。エンジンオイルの規定量を覚え間違えていたせいで、自動車用品店と家を2往復するハメにあった。なんたるむだづかい。燃費のよい車に乗ったり経済運転をこころがけたりするよりも、うっかりを治したほうが化石燃料の使用量、ひいてはCO2排出量を減らせると思った。COP3の排出削減目標6%を達成するために、あなたもうっかりを治してみませんか?AC。
 快適になったオートバイで大阪南港を目指す。弁天町から大阪港へ至る景色はなんだかバンコクっぽい。戦闘的な交通事情とか、歩道にあふれる人とか、路肩にちらかるごみとか、なんかやかましいところとか、なんかあやしいところとか。さすがブラックレインの舞台。大阪港から海底トンネルで南港へ。
 そういえば、いつ降りだすかわからない空模様で、しかも降水確率100%なので、はじめっから合羽を着てゴム長を履いていたが、港につくまで一滴も降らなかった。いわゆるキルヤムの法則である。

2004-10-28
 大事な書類を学務に提出。とりあえず。とりいそぎ。とりとめもなく。とりにとろとるえん。
 明日の夕方には大阪港から船にのってみやざきへいきます。しばらく研究室には来ない。つぎは月曜の昼頃か。週間天気予報は2日前とはうってかわって、萎える内容となった。往路の降水確率100%、て。かかってこい。ですか。
 モントリオール、おまはんも行ったらどないや、てな話してまんねやけどね。カネのもんだいとネタのもんだいをどないすんねや。カネはまあ最後の最後にどもこもならんのやったらあきらめるっちゅうことでシンプルなもんだいですねん。せやけどネタはそうシンプルなもんだいやあらへん。ちゅて。なあ。

2004-10-26
 ボスが論文を見てくださっている間に、つぎの論文の作業をはじめよう。データはほぼまとまってる。関連研究がかなりある方面なので、まずそれらに目を通して整理しよう。英語漬けになろう。
 今週末は植生学会で宮崎へ行く。はずかしながら発表なし(はずかし状態がJES52大阪までつづきそうでやばい)。発表しない学会はなんとなく気合がはいらない。行くか行かんかも今日まで決めていなかったほどだ。でもそれはまちがってる。気合を入れて聞きに行こう。
 安く行く経路をしらべたが、直前ともなると法外に安いテは存在しない。ふつうの選択肢ならやっぱり船(大阪−宮崎)が安い。徒歩乗船が一番安いけど、時間の折り合いがよくない。で、船にオートバイをのせることにした。ガソリン代を入れても往復ほぼ2万5千円。なんかわくわくするルート。雨降るなよ。いまのところ週間天気予報は全日程晴れと言ってる。降水確率は0〜20%程度。よっしゃこい。

2004-10-25
 論文、とっとと書き直すつもりで思いのほか時間がかかった。見通しの甘いのは毎度のこと。ようやく今日、ボスに再提出。
 ここに日記をつけてたら、どのくらいの作業にどのくらい時間がかかったか分かりやすい。今後の参考になるかな。紙のノートとちがって、ブラウザで「Ctrl+F」で探せるのがええな。まじめに研究日誌つけてたら、もっと使えるのにねえ。ほんとにねえ。

2004-10-23
 台風のときの在宅勤務に味を占め、きょうもまた家でちまちまと。昼頃ちょっと近所の山をぶらぶら歩く。とても視程のよい日で、低い山のてっぺんから双眼鏡でのぞくと、はるかかなた、湖の南のほうにある都会が見えた。
 山道でユリ科のキチジョウソウが咲いているのを見た(標本とった)。やわらかめの図鑑を見ると、“めったに花が咲かないので、咲くとよいことがおこるといわれている。だからキチジョウソウっていう”ってな感じの解説があった。めったに咲かないってほんまかいな。そうだとすると、めったに結実しないってことか。詳しい方、どう思いますか。いずれにせよ種子好きとしては気になる。しばらくして結実するころに行ってみようかな。道端の一角にわさっと生えてたけれど、きゃつらは地上匍匐茎があるので、もしかすると1クローンかもしれない。いろいろ気になるキチジョウソウである。

2004-10-21
 たのまれレポートを書き上げて提出。
 自分の論文の図表をつくって、考察の仕上げにかかる。しょぼさを払拭するための打開策を検討している。つくろったらあかん。引き算の作業。ときどき色気を出して足し算の作業。でも冷静になって引き算の作業。そんなことをくりかえし、さあどうなるどうなる。

2004-10-19-20
 南洋の孤島に王国がある。王家の子息は数人あるが、皆、王と同じ名を名乗っている。王家のものばかりでない。この王国の民は皆、王と同じ名を名乗っている。このためこの国では人の名前を覚えることに苦労はいらないが、名前を覚えたところで名前で人を区別することはできない。郵便は常に誤配され、信販会社はテキトーな人から集金し、選挙の開票では票を平等に分配する。名前という制度に平等を持ち込み差異を排除すればその機能が失われる、ということをこの王国は証明しているのである。日本で私達が個別の名を名乗っているのは、この王国の混乱を知っているからだ。

 さて、この王家の子息どもはどいつもこいつもできの悪いぼんくら息子として有名だ。このぼんくら息子たちは風に吹かれることを厭い、雨に降られることをことさらに嫌がる。風の強い日は風の止むまで王宮を出ないし、雨でも降ろうものなら一日中一歩たりとも王宮から出ない。こんな様だから風が吹けば学校に遅れ、雨が降れば学校を休む。しかしながら、ぼんくら息子たちの成績はそれほど悪いものではない。なぜなら教師たちはテキトーな生徒にテキトーに成績をつけているからである。

 この王国は意外なことに大変学問が盛んである。様々な分野の研究者が日々のらくらと研究にいそしんでいる。南洋の孤島という地の利を活かして、生態、進化、地質、地球物理、天文、環境、海洋、火山、宇宙工学などでは画期的な成果をあげている。文化人類学や考古学も盛んである。ただし研究者がみな同じ名前なので文献検索をするととんでもないことになる。どういう状態かは検索してみるとわかるだろう。2003年に出版されたものだけをみても、ハメハメハによるものが56本、ハメハメハ & ハメハメハによるものが138本、ハメハメハ,ハメハメハ & ハメハメハによるものが7本、そしてハメハメハ,ハメハメハ,ハメハメハ & ハメハメハによるものが1本、さらに25人のハメハメハによるものが1本、32人のハメハメハによるものが1本ある。32人のハメハメハによる論文の1ページ目は、タイトル以外は「ハ」と「メ」の羅列でしかない。ハメハメハによる論文は、ISI社がインパクトファクターを算出する際に常に過大評価の一因になっているそうだ。

 ぼくはこの呑気な王国がたいへん好きなので、雨が降っていた19日と台風のやってきた20日は王家の子息にならい大学へ行かなかった。家で、たのまれレポートと自分の論文をちまちまちまちまとやってすごした。たまにはいいもんですな。

2004-10-18
 傍目八目。昨日は傍目の側におって、この言葉を実感しました。今日は対局者の側におって、この言葉を実感いたしました。
 自分のことを第三者の目で見るのはやっぱりむりです。修行がたらんのですな。デューク東郷はそれができるんだけどね。デューク東郷ってだれやねん。あーあーあーあの変な歩き方の、って、それはデューク更家です。ちがいます。なぞの東洋人です。知りませんか。まあなぞですからな。いったいみんなどうやって彼に連絡とって仕事依頼してるんだか。話がそれました。
 つまるところ、わたくしを含め修行のたらないものはみなレーダーマンです。知りませんかレーダーマン。識別不可能な擬似ロボットで高性能なんです。どんな情報も見逃さないんだけど、自分を捉える機能がないんです。そうですか。知りませんか。ざんねん。ぼくすきなんですけどね。まあいいです。とにかくわたくしたちはみな多かれ少なかれレーダーマンなんで、ちょこちょこ他人に見てもらうことは大変大変大事だと、私がいいたいことはそういうことです。おおきに。ありがと。さんきゅ。てれまかし。こっぷんくらっ。かむさはむにだ。いいえどういたしまして。
 わが友人、matsut氏もときどき今日のこの文章とおーむね同義のことを書いておられますが(たとえば2004年10月6日)、わたくしのわけのわからん文章よりは彼のはハルカにハルカに格調高い。やるね。さすがに。
 では、トカゲがくるので帰ります。さいなら。あんにょん。

2004-10-16
 ええなんだって。NHK−BSがモトGP中継撤退?
しょっく。せっかくチーム間の差が縮まって面白くなってきたところなのに!田中アナウンサーの冷静で適確な実況はモータースポーツ実況の最高峰(と信じてる)なのに!なんとかならんのか。と、こんなところで叫んでもしかたがないので、NHKのウェブサイトから要望してみよう。あれ、でもうちはBS視聴料金払ってたっけ?アパートにアンテナがついてたからたまたま視聴できてるだけで・・・。
 ところで「日々粗忽」は研究日誌のはずなのだが、どうなってるのかそのへんわっ。

2004-10-14
 冬っぽくなってきた。最近は滋賀からバイクで通っているが、夜中の寒いこと。昼はTシャツですごしているが夜中のバイクではフリース裏地のジャケットを羽織る。昼夜の寒暖差のおおきいのは金星なみです。うそです。
 「静電気はじめました」。いよいよ冬っぽい。僕の静電気は研究室で使っている椅子によって起こる。おなじ椅子を使っているヤシロも冬季は放電魔だ。この椅子に一瞬でも腰掛けると充電完了。急速充電器と呼んでさしつかえない。静電気は他人の体に触れてばちっと放電していやがられるくらいしか有益な使い道がないのが残念だ。せめて殺虫とかできないものか。

2004-10-13
 あいかわらず論文の修正と某ファンドへの申請書類書き。書く速度は年々低下している。社会復帰できないかもしれんな。
 夏ごろからNHK教育で放映しているSFアニメ「プラネテス」にはまっている。夜中にザッピングしてたまたま第1回を見て気に入った。内容は近未来の宇宙開発産業に従事するサラリーマンを描いたもので、アニメにしてはめずらしくハードSFだ。けしてヲタっぽくなく、理科少年ゴコロをくすぐる内容がたまらなくよい。今日、ヤシロにすすめたら早速視聴したようで、放送直後に「おもしろかった」とメールがきた。彼も理科少年ゴコロを刺激されたらしい。

2004-10-12
 今月から流研に来られたポスドクの方は韓国人である。これを期ににわか韓国ブーム。さっそく会話集を入手して練習するわたくし。なにやってんだか。実は大学1年の頃に一般教養の授業で韓国語を習った。その授業では先生のポリシーで「朝鮮語」と読んでいた。ソウルオリンピックの年だったのでいつになく受講生が多くて先生がおどろいていたのを覚えている。
 英語には壁を感じているくせに、異国後をかじるのはきらいじゃない。イタイケナイ浪人生だったころはNHKテレビで「中国語会話」を勉強していた。
 大学3年のころはテレビのスペイン語会話を見るともなく見ていたが、そのときの例文が「私の仕事は羊飼いです」だった。テレビのスペイン語会話を見ている日本人にたぶん羊飼いはいないだろうなあ、と思った。
 それでは今日はこのへんで。さようなら。アンニョンヒゲセヨ。ちゃんとひげそれよ。

2004-10-11
 BS1でモトGPマレーシアグランプリを観戦。この1年のカワサキの進歩はすばらしい。すでにヤマハとは互角で走れるようになってきている。開発がすすんだのは中野真矢の分析力に負うところが大きいと聞く。そして彼はマシンコントロールの神様だ。今シーズン転倒によるリタイヤはない。いまのGPで一番目が離せない選手だ。彼のウェブサイトにある日記がおもしろい。GPライダーの生活を垣間見るたのしみ。

2004-10-10
 ちかごろ秋山研の腹黒い学生たちが私をおっさん扱いするネタを好んで使うようになった。この年でおっさんでないほうがどうかしているので別に気を悪くすることはないが、立派なおっさんになりそこねているあたりは、高校生時代の自分が描いた「おちつきのない大人になりたい」という夢をパーフェクトに実現させているようで、なんとも高校生当時の自分に忠誠であることよ。でもオトナになった自分はそんな高校生当時の目標(?)を変更して、もうちょっと自らにおちつきをもとめていたりする。今の日本ではヒトは35歳で成人するという説があるが(酒井順子 2003)、それをふつふつと実感する今日この頃だ。やりたいことやってて楽しい日々であるには違いないが、この社会的不適合の度合いには忸怩たるものがある。忸怩たる思いを日々思いまくっている。

2004-10-08
 誰かに対して「こいつは傲慢なやつやなー」などと思っているその瞬間、いちばん傲慢なのはたぶん自分自身だ、ということに気づいた。誰かに対して「なんと独善的なやつよ」とおもっているその瞬間、自分こそが独善的であることに思い至った。おのれは何様のつもりやねんとセルフサービスでつっこんだりしてこういう青臭い思考をこの年齢でやることにちょっとハズカシサを感じつつ。
 論文は、立ち位置(つまりは目的の一部)を変更して、それにあわせたイントロと考察を書く。例によって私の仕様上の欠陥、こっち方面の低性能、そのナニがアレなので蝸牛。

2004-10-04
 ボスから初稿へのコメントをもらう。目から脱鱗ありーの、わかっていたけどできたつもりでぜんぜんできてなかった、っていうのに気づかされーの、いろいろと。ありがたいことです。さてと、とっとと直そう。まずは立ち位置を変換すべく、頭をひねる。立ち位置を変えるためにあらたに文献をあさらねば。

2004-10-02
 サカイとイナトミねーさんの学位授与を祝うパーティーっちゅうか飲み会が開催された。ある人がサカイにバスローブを贈った。ダンディズムの必須アイテム、ってことらしい(すでにここからして勘違いがあるとおもう)。サカイはさっそくダンディズムを磨くべく、パーティー会場でバスローブ姿になって、石原裕次郎よろしくグラスをくるくるしはじめた。
 ここは焼き鳥屋の座敷。そしてグラスにはブランデーでなくビール。なにより公衆の面前にてバスローブいっちょ。ダンディサカイへの道は泥濘に足をとられて果てしない。

2004-10-01
 投稿予定の論文の初稿を(ようやく)書き上げてボスに提出。
 データをあつめるのに時間がかかった割りには小ネタ。書くのに時間がかかった割りには小ネタ。いや、小ネタであるがゆえにジコヒゲして書けん病を発症したのだが。たしか6月半ばに、とりあえずこっち先書こうってことになって書き始めたんだっけ。間に中間発表だの学会発表だの男鹿だのあったにしても、こんな時間かかるとおもわんかったヅラ。しかもまだ終わったわけじゃないし。ともかく、これくらいかかるという目安を自分のなかに蓄積した。

2004-09-下旬
 じりじりと前進したり、とほうにくれたり、後退したり、を繰り返す。まいど持ち前の分散力によって思考を散逸させる。分散力の過剰=集中力の欠如とどう折り合いをつけていくか、は常にぼくにとっての課題でありつづけている。
 図書館で作業をするのは効果的な解決策。分散力を刺激するきっかけが少なくなるから。ただし、図書館に行くのは涼しい日にかぎる。岐阜大の図書館は(予算がないのか)空調を停止していてごっつい蒸し暑い。蔵書のためにもあのような温湿度はよろしくないと思う。

2004-09-19
 モトGP日本グランプリを録画しておいたビデオで観戦。もちろんビデオをみるまでは情報を遮断。まあすごかった。玉田誠(ホンダ)の優勝もすごいが、それよりカワサキ中野真矢の3位にコーフン。ライムグリーンがこんなにも長く画面に映るレースがあったか。1週目1コーナーの多重クラッシュをすりぬけた先頭集団に緑のマシンを見つけた瞬間にいっきに血流が速くなった。終盤、中野が前を走るマルコ・メランドリ(ヤマハ)を90度コーナーのブレーキング勝負で複雑に交錯しながら追い抜いた。観客席でライムグリーンの小旗が乱舞。このあたりでぼくちん涙でてました。中野選手とカワサキからとーぶん目が離されへんな。

2004-09-13〜18あたり
 男鹿の片付け、植物標本の同定、データ整理などをしたり、航空写真を注文したり、とほうにくれながら論文をちょろちょろやったり。このちょろちょろがあかんねん。「これ論」にあるように、やるときはそればっかりやるべきやねん。ぼくはマルチタスク対応じゃないから激しく同感。

2004-9-12 男鹿調査6日目(最終日) お土産は納豆
 最終日、がんがん調査したいところだが、昼過ぎまでしか調査はできない。
 放置されてヤブになってる場所の調査は来年まわし。今日はシバ草地を重点的にみることにした。ひるすぎまでに澤田が2コドラート。ボスが2コドラート。計4コドラートをとる。初日の2つをあわせたらシバ草地が7個。
 調査の合間に、芝生広場下部について、また寒風山食堂のおばさんに聞く。芝生広場の下の方は年によっては年に2回刈りだそうだ。
 過去の植生の変遷を把握しておきたいので、岐阜にもどったら航空写真を注文しよう。
 1時を回って調査終了。安くておいしい回転すし屋「なまはげ寿司」で昼飯を食い、いろいろな機材やサンプルをコンビニから発送し、カフェ・ブレンナというおいしいコーヒー屋でコーヒーを飲んで豆を買って、空港でいなにわうどんを食べて、空をとんで帰った。空港の食堂のいなにわうどんは茹でた後にちゃんと冷水で締めていないのであかん。
 おみやげに買った納豆が絶品だった。

2004-10-11 男鹿調査5日目 植生調査
 ぼくとminacoさんが組んで朝から植生調査。ボスは芝刈りと芽生えカウント。
 平成14年度より年1回刈り取りを行っている範囲のうち、火入れ無しと2003年に火を入れた区で植生調査。前者で4、後者で5コドラートとる。火入れの有無による種組成や群落高の違いはあまりわからない。むしろ、微地形に応じた違いの方が大きいように感じる。微凸地や尾根部は丈の低いススキ草地で、わずかに谷地形のところや微凹地などはススキの丈高く、あるいはササやタニウツギが目立つ。そんなかんじだ。微凸、微凹地でこれほど違いがあろうとは、予想していなかった。ランダムサンプリングを心がけ、微地形をそろえることを意図的にしなかったが、そろえた方がよかったかも。
 ススキ草原のコドラートは一つとるのに大体30分強かかる。ササが多いとそれより短時間でおわる。さて、15時をまわったので、シバ地へ。土壌呼吸プロット付近で植生調査。シバ草地の調査はすぐおわるだろうと思っていたが、密に生えたシバの合間にいろんな種がまぎれているので、ざざっと見るということができない。1コドラートみるのに1時間半かかった。
 夜は同定作業とサンプルを押す作業、そして植生調査データの入力。

2004-09-10 男鹿調査4日目 植生調査
 朝イチ、温度計ロガー(TidBit)のデータ読み出し。
 朝ニ、ススキ草地で種数面積。50cm×50cmからはじめて16m×16mまで。なかなか飽和しない。最後はちょっと異質な群落(密度の低いススキ草地)に突入したので曲線が変に立ち上がった。ありゃりゃ。曲線を見て、3m×3mで調査することに。ちっ、2m×2mではだめだったか。1コドラートの作業面積2.25倍になってもた。
 種数面積が終わったらminacoさん(仮名)がアイスクリームをご所望。minacoさん(仮名)の特徴として無敵性が知られている。いわゆる女王様体質である。というわけで強制休憩となる。
 休憩ののち、シバ草地で植生調査。1コドラートと半分とったとこで昼休みに。
 地元で植生の研究をなさっている越前谷さんと合流。寒風山食堂で稲庭うどんをたべながらいろいろとお話をうかがう。とても精力的に研究をなさっている方で頭が下がる。
 昼食後、シバ草地コドラートのつづき。わからない種を越前谷さんから指導をうけつつ。つづいてススキ草地で植生調査を6コドラート。

2004-09-09 男鹿調査3日目 土壌呼吸測定と土壌サンプルとり
 朝から土壌呼吸の測定。測るのはminacoさん(仮名)。ぼくは手伝いで土壌含水率とか地温を測る。午前中いっぱいかかる。午後、ぼくは土壌サンプル採取。
 夕方、明日からの植生調査に備えて、植物の観察と同定を行う。花期をはずしているのと、約1ヶ月前に刈取りを受けているのと、僕に草原の経験があまりないのと、東北の経験がないのと、などの理由により苦戦。あしたからの植生調査はだいじょうぶか?

2004-09-08 男鹿調査2日目 文献調査
 台風18号が未明に通過。朝になってもまだ天気はよろしくない。現場をあきらめて県立図書館で文献調査。「秋田魁新報」の過去記事を検索する。寒風山をキーワードにして、火事や草原維持に関連する記事を拾い集める。
 寒風山の草地は、主に農耕馬の冬の餌を確保するための採草地だった。ふもとの集落の入会地として利用されていて、どの場所でだれが草を取るかは毎年くじびきで決めていた。草刈りは毎年、盛夏に行われた。
 夏の刈り取りは重労働だったそうだ。そりゃそうであろう。そのときに食べる「うりかき」がおいしかった、という話が載っていた。うりかきとは、うりに味噌をつけただけのシンプルなたべものだそうだ。刈り取りの時はこれだけをおかずにごはんをたべたらしい。たべてみたいなあ。
 昼頃、もう雨は降っていないが、はげプロメンバーは今日は調査をしないって決めたらしく、おいしいコーヒー屋でおいしいコーヒーを堪能し、男鹿海鮮市場できれいな魚を見る。優雅すぎる。市場ではぬか漬けのサバなどがあった。これは若狭や北陸で「へしこ」とか「ひしこ」って呼ぶものと同じ。男鹿にもあるのか。北前船つながりか。そういえば、昨日の宿のごはんでは、オゴノリをかためた寒天寄せのような食べ物がだされた。これにちかいものは下関あたりのおきゅうとである。そっくり。これももしかしたら北前舟つながりか。興味深いなり。
 夕方にちょっとは現場をみたくて寒風山へ。小展望台そばの寒風山食堂のおばさんに聞き取り調査。おばさんの子供のころから芝生広場の刈り取りは夏に1回だけのようだ。今も年に1回。その他に「飛び松」をときどき切るらしい。小展望台のまわりは農協?の婦人部などが年に2回刈っているとのこと。昔はどこからみても芝生の山でたいへん美しかったそうだ。
 新聞記事で得た知見をあわせると、むかしの寒風山の草原は、春の野焼きと夏の刈り取り、この2回の撹乱によって維持されていたらしい。
 夜、食事のあとで植生調査の候補地をきめていく。この撹乱履歴の場所で5個、このへんで2個ってなぐあい。目標42個。まあむりやろな。

2004-09-07 男鹿調査1日目 ヒアリング
 朝5時に岐阜を出発し、名古屋空港から秋田へ飛ぶ。機種はボンバルディアCRJ200。初めて乗る飛行機だ。初物だから寿命がのびる。機内は狭くてシックでいいかんじ。灰茶色の革張りの椅子がふかふかとすわり心地よい。すっちゃですさん(キャビンアテンダントの古語)から絵葉書をもらってよろこぶ。
 朝のうちに秋田空港に到着。ボスとminacoさん(仮名)は寒風山へ芝刈りに。僕は県庁自然保護課へ人為撹乱履歴のヒアリングに行く。わかりやすい図をたくさん用意してくださっていた。感謝にたえない。これによると芝生広場は夏に1回の刈り取りをずーっと継続してきたらしい。それ以外の場所は2002年から草原での刈り取りを再開したようだ。
 汽車(キハ40)にのって寝ながら男鹿駅を目指す。18きっぷの人が車両に数人。汽車旅ええなあ。
 男鹿市役所へご挨拶とヒアリング。まず観光商工課で挨拶をして、つづいて環境防災課で過去の山火事についてうかがう。防災基本計画資料編によると、1965年と1979年に大きな火事があったらしい。最近では記録にのこるような大きな火災は2001年のみ。この記録には、掲載の基準があるわけでなく、消防団などを大量に投入したときのものが残る。だから漏れもあるようだ。
 芝刈り組から作業終了(強風のため中断)したとの電話連絡があり合流。まだ3時ごろ。ぐるっと寒風山をみてまわる。経の町大火口のあたり、道路の左右で火入れの有無。刈り取り履歴はどちらも同じ。調査の候補地とする。
 男鹿温泉に投宿。夕食後、県庁でのヒアリング結果を撹乱履歴図に書き加える。やぶ(放置してやぶ化したところ)の調査地候補がいくつか見えてきた。

2004-09-06 出発前夜
 明日から男鹿。はげプロ1年目の夏の陣。荷物や道具のほかに3つの準備をする。
1、これまでのヒアリングから分かった範囲で、人為撹乱履歴図を作成。
2、「旅のしおり」(作業項目・行程などのメモ)作成。
3、手持ち文献や資料から、寒風山の植物リストを作成。
 おお、スズサイコとかセンブリとかあるのか。たのしみ。
 わくわくして夜中3時半までねられず。翌朝5時に出発だというのに。

2004-09-01ごろ
 電車の定期が切れてるので単車で大学へ。雨が降るかも知れないからゴアテックスのカッパをリュックに入れた。昼に食べるつもりのカップラーメンと、夕方のお楽しみの六花亭のあんぱんもリュックにつめこんだ。
 研究室に入ってリュックを下ろして。あれ?おかしいな。ぼくはまだフタを開けていないが、なんだか全開。どうやら走っているうちに、風圧でリュックの口が開いたらしい。どこかで荷物をばら撒いてきたようだ。ちょっともどって探すが見つからず。
 放出されたのはカップラーメンとゴアテックスのカッパ(下のみ)と六花亭のあんぱん。ゴアテックスのカッパは、かれこれ10年使っており、最近では防水性に問題があるばかりでなく、珍妙な芳香を放っていた。珍妙な芳香は洗っても干してもなくならない。無尽蔵の匂い資源であった。これからもどこかで人知れず珍妙な芳香を放ちつづけることだろう。さらば。あきらめきれないのは六花亭のあんぱんだ。私的プレミアムアイテムがあっ。

2004-8-30 生態学会大会 in 釧路 (終)そして船は行く。
 台風16号は南九州を北東へ。我らを乗せたフェリーは秋田沖を南西へ向かっている。敦賀に入港予定の夕刻、台風と鉢合わせるかもしれない。船は一刻も早く敦賀港に入るべくフルスロットルで航行している。幸いなことに海はまだ荒れていない in the morning。
 くゎんさんが「この船ってどのくらいのスピードなんだろう。フロントに聞きに行って来よう」と盛り上がってるので「じゃあついでに燃費も聞いてきてちょーだい」とお願いした。
 「聞いてきましたー。速度は最大で時速56kmだそうです」
 「ほー」
 「燃費は、リッターあたり6メートルだそうです」
 「おおー!」
 ということは(※時速56km/hのときにも6km/Lの燃費だとすると)、1時間におよそ9000リットルの燃料(重油)を消費する。苫小牧から敦賀までの20時間では約18万リットル! おいらのポンコツ(1988年式ホンダトゥデイ・550cc並列2気筒)なら18万リットルのガソリンで360万km=赤道90周走れる(計算あってるかな)。ちなみに船はこれです。
 台風直撃よりわずかに早く敦賀港に入港。波が高く接岸に時間がかかったが、無事に帰り着くことができた。

2004-8-29 生態学会大会 in 釧路 (6)きりたっぷでやちぼうずをめでる。
 学会最後の日、公式行事として公開シンポジウムをやっているが、せっかく道東まで来ているのだから、と流研の面々+小見山研のくゎんさんで自前エクスカーションってことにして霧多布湿原へいく。湿原センター周辺でやちぼうずを見たあとで琵琶瀬の木道へ。ヤシロとぼくは植物の同定などしつつ、川の右岸と左岸で植生がちがうっぽいことを観察しつつ、ここで研究をするとしたらどんなテーマで何をみると面白いだろうか、などと話をしつつちんたらちんたら歩く。のこる3人はすたすたと木道を歩いて川岸まで到達し、眼前でタンチョウを見れたらしい。ええなあ。この木道の周辺はかつては昆布を運ぶ馬がいたとか。海からこの草原を横断して川岸まで、馬が昆布を引いてったそうだ。なんで海辺で干さないの?そのほうが楽そうなのに。って、そのへんの売店のおばちゃんに聞いたら、昆布を干す場所は持ち主が決まっていて、だれもが便利な場所で干せたわけではないと。なるほど。
 台風16号接近中。今夜乗るフェリーは出港が早まると連絡あり。苫小牧を目指す。とちゅう帯広で六花亭にたちよりお買い物。ぼくはここのあんぱんが大好きで、けれども日持ちしないためにお土産屋では買えないので、私的プレミアムアイテムなのだ。売り切れ間際の3個を買い占めてほくほく。
 帯広から苫小牧までラストスパート。5人と5人分の荷物をつめこんだマツダデミオで濃霧の日勝峠を越えて。運転担当のソデはさぞかしつかれたことであろう。おつかれちん。

2004-8-28 生態学会大会 in 釧路 (5)ヘテロな集団にまぎれこむ。
 昨日の教訓。昼のコアタイム以降はポスター会場が混雑するので見たいポスターをみることができない。そこで今日はシンポジウム会場には行かずにポスター三昧の日と決めた。  橋本君@兵庫県博の外来樹木トウネズミモチの発表、うまくまとまっていて面白い。橋本君らしい元気がでてきたなあと思った。これも賞とれそうだ、って思ってたら午後には受賞の通知が貼られていた。やっぱりな。
 金尾さん@滋賀県大の水田利用魚類の発表。すごい面白い。水田利用魚類の実態を知りたいという動機から、こんなにとんでもない量の作業をこなしてしまうとは。1年間で捕まえた魚が13000匹。そのすべてがデータになった。そして、発表者のひとがらのよさ、地域社会とのかかわりかた。滋賀にこんな大物がいたなんて。午後、このポスターは最優秀賞を受賞した。やっぱりな。
 ほかに、寺西さん@京大のホトケノザの閉鎖花と開放花ではできた種子の性質(散布者のアリに対するアピール)が違うって話、藤田さん@信州大のカンアオイ属4種の受粉様式の違いの話が面白かった。
 夜の部は自由集会、多重検定と多重比較をめぐって、というのを聞きに行く。前半は粕谷先生@九大。ぴんく本にも書かれたファミリーワイズにエラーをコントロールするという話と、多重検定の誤用事例。大変参考になる。後半はクボタク氏@北大による「モデル選択」の話。おおー。そんな方法が世の中にはあったのかー。聴衆はクボタク氏の話の面白さにすっかり影響され、会場をでるときにはみんなヤクザな研究者になりきって肩で風きって歩いてた。まるで東映やくざ映画を見た直後のおっさん。クボタク氏は生態学会の鶴田浩二か。たとえがふるすぎる、高倉健、まだふるい、いまならだれ?あ、あいつか。サカイの好きな哀川翔。
 会場を出たところで鷲谷研の高川君とばったり。ひさしぶりにいっしょに飲みに行こうかというと、なんか集団にまぎれるので、いっしょにそこへ、ってな展開。これはいい機会だと近くにいたサカイ・ヤシロをまきぞえに集団にくっついていくことに。
 鷲谷研のグループではなさそうだ。前をあるくひとに「これはどういう集団ですか?」とたずねてみたら、「ヘテロな集団です」と返ってきた。なるほど、いろんなところの人々が雑多に混じっているのであるな。ぼくとサカイとヤシロは3人とも同じ所属だということを伝えようとして「ぼくたちはホモです」と返事をした。なんだか誤解を招いたようである。
 ヘテロな集団は本当にヘテロだった。数理生態・進化生態・個体群生態っぽい人のあつまり(優占種は嶋田研@東大)に、鷲谷研の保全生態っぽい人が少しまじってて、そこに物質循環っぽいサカイ・ヤシロと植生のぼく。異業種交流会っちゅうか合コンっちゅうか。どっちかというと、うっかりまぎれこんじゃった感がつよいな。気にしない。
 この飲み会で数理生態の江副さん@大阪女子大に教えてもらったこと。数理生態でつくるモデルはその結果が現実に合っているかどうか、よりも立てた前提とかパラメータが妥当なものかどうか、ということが大切だそうだ。前提やパラメータの立て方がおかしいと、いくら現実と合った答えがでたとしてもそのモデルは意味がない。一方、前提やパラメータが妥当なのに現実と合わないモデルができたとしたら、その違いは追及する価値があるのだとか。なるほどとおもった。そしてもうひとつ。数理生態をやっている人たちは、現実のフィールドでどういうことがおこっているのかを知りたいと常々思っておられるそうだ。それが研究の材料になるからだな。きっと。
 ホテルにもどってからもヤシロが熱く語るので、ヤシロ部屋にサカイとぼくが行ってつづき。寝たのは1時半。あたし、もうお肌がぼろぼろだわ。

  2004-8-27 生態学会大会 in 釧路 (4)懇親会で押し売りをする。
 この日は午後の口頭発表やシンポジウムがないので、ポスターを午後にゆっくりみることにして、午前中はシンポジウム「自然再生を生態学に活かす」を聞きに行く。「を」と「に」が逆ではないところがミソである。プレゼンをシンポジウムのテーマに沿ってまとめている演者とそうでない演者がいた。テーマに沿ってまとめられた話は聞き甲斐があるというものだ。
 標津川再生事業の紹介、いったん直線化された河川を再蛇行化するというもの。再蛇行部は残存して三日月湖となっていた旧河道を使う。直線化されていた期間に本川の河床が洗掘された。このために再蛇行したけれども蛇行部の上下で河床の高さに差が生じており流速が落ちなかった。このためもともとの蛇行していた頃とは異なる環境となった。そこになんとか低流速区間を設けようとして、倒木をしずめたり、いろいろと工夫をしている。という内容。ぼくはこれに対し批判的な印象をきわめて単純に抱いた。
 山本さん@上越環境科学センターとこの講演の感想を出し合った。ぼくはちょっと頭をなぐられたような衝撃をうけた。というのは、しらずしらずのうちに、ぼく自身が、本来なりたくないと思っていたバランスを欠いた思考に陥っていたことに気づかされたから。初心にもどって修行しなおそうとおもう。さんきゅー山本さん。
 昼からポスター会場へ。うわ。みんな考えること同じやな。ポスター会場がとてつもなく混雑していて、とてもじゃないがポスターを見て回る気がしない。空くのを待つ間、めしくったり、書籍販売ブースをひやかしたり。
 昼をすぎても混雑はあまり緩和されない。意を決していくつか見て回る。
 海浜仲間の笹木さんのポスターの前で、海浜研究では大先輩である石川さん@群馬大に遭遇。なぜかいぢめられる。きっと石川さんなりのエールの送り方なのだろうと、かってにいいふうに解釈した。
 郡さん@プラトー研究所の発表がおもしろかった。環境省の植生図作成作業にあたって、ある特定の植物群落を衛星データを利用してサーチしている。発表の内容もさることながらパワフルな郡さんのキャラクターがまたおもしろくてぼくはすきなのだ。一部手書きのポスターがどえらいソウルフル。あれ?講演要旨とポスターの前で聞いた話がちょっとちがうなあ。
 午後3時近くなってもぜんぜん人が減らない。気力が萎えたので学会をさぼってあそぶことにした。ソデ、サカイ、ヤシロ、ぼく、そして環境研の李さんの5人で釧路湿原温根内の木道へ。だー。またやってもた。図鑑とカメラを忘れてきた。6月の立山にひきつづき、だ。湿原ではドクゼリやサワギキョウが満開だった。
 釧路湿原から学会会場にもどって懇親会。懇親会は学会のメインイベントである。懇親しまくったる。実は懇親会の数時間前に、コマツヨイグサ仲間の小林さんから、倉本先生@明治大を紹介していただいていた。ぼくは倉本先生の研究を時々参考にしているので、ぜひぼくのポスターを聞いてもらいたいと思っていた。懇親会にポスター縮刷を持っていくので見てください、とお願いして快諾していただいていた。懇親会場で、倉本先生を探してプレゼンをした。ひょっとしたらご迷惑かもしれない。完全に押し売りモードだったが、興味を持って聞いていただき、そのあとじっくりとディスカッションをしてくださった。感激した。はやく論文を完成させて、今度は論文をみてもらいたい、と思った。
 懇親会のあとは、約800人がいくつかの集団にわかれて二次会へと流れていく。農工大の植生仲間、蛭間さん、岩渕さん、野田君が歩いていくのが見えたので、ここにくっついていった。横国大の川西さん、若松さんもいて、全部で6人でつんどらへ。植生屋ばかり6人が、順番に自分の研究を紹介して、それをネタに呑むという、セミナーみたいな濃い飲み会となった。あー、今日も午前様。ねむー。

2004-8-26 生態学会大会 in 釧路 (3)ポスター発表でハイテンションになる。
 この日はプログラムが盛りだくさん。朝から晩まですべての会場でなにかしらの発表やシンポジウムや集会が開かれる。聞きたいものがあっちにもこっちにもあって迷う。しかし午前と午後の部は口頭発表やシンポジウムには行けなかった。自分のポスター発表があったからだ。
 朝の9時すぎにポスターを貼った。出足はいまいちだったが、昼前ごろからたくさんの人が聞きに来てくださって、夕方までほぼノンストップだった。たくさんの方々とのディスカッションがとても勉強になった。楽しかった。
 おなじ会場でポスター発表をしていた村岡さん、minacoさん(仮名)、八代君が夕刻にポスター賞を受賞。おめでとー。彼らの受賞は予想していたとおり。で、自分自身は受賞しないだろうと予想していたところ、この予想も的中。まったく予想どおりの展開だったが、少しくやしいのはなぜだ。
 それでも姉弟子のあじまねーさんや、岡山理科大の波田先生、琉球大の佐々木先生におもしろいと言ってもらえたのはうれしかった。そして、ずいぶんはげみになった。このうれしさを論文書きの燃料としたい。
 ポスター発表の合間に、他の人のポスターをいくつか見て回った。ぶっちぎりの面白さだったのが、帯広畜産大の國司さん。ベニバナイチヤクソウのあっとおどろくような生き様を、巧みなデザインの実験で示していた。
 コマツヨイグサ仲間の小林さん@明治大、荻津さん@茨城大とディスカッション。どうも関東にはびこっているコマツヨイグサと徳島にはびこっているコマツヨイグサは性格が違うようだ。荻津さんもポスター賞受賞。やるなあ。
 夜の部はアグロエコロジーの自由集会へ。今回のテーマは風土。画一的かつ自然破壊的な"自然再生事業"を危惧し、その回避のカギを担うのが「風土」であるというコンセプト。渡辺さんの示した、戦後と今の農村集落分布図はすごかった。かつて山間に無数に分布していた集落、そのほとんどがいま廃村となっていることを示している。その影で、二次的自然に依存したたくさんの生物や、それをはぐくんできた風土が消え去ったはずだ。
 アグロエコロジーは生態学のはしっこからしばしば足を踏み出して、楽しく興味深い展開をつづけている。足を踏み出さずして農村環境の保全はありえない。最後の総合討論はいつもなんだかぐっちょんぐっちょんになっていく。このぐちょぐちょ感が実は結構おもしろくて僕は好きだ。日鷹さんは「あるだけの歴史情報を時間軸にそって並べていくことが大切だ」とおっしゃった。前にこれとおなじことを清野聡子さん@東大(海岸保全で大活躍の方)が述べておられたことを思い出した。二次的自然であれ、海岸であれ、豊かで美しい自然環境のビジョンを示すためには、生態学と民俗学の視点が不可欠なのだろう。ぼくは生態学的なアプローチしかしていない。
 ハネてから「つんどら」という名前の炉端でラーメンを食べ(釧路の炉端焼き屋はなぜかラーメン屋をかねているところが多い)、三宅さん@愛媛大+流研のムサい男どもと合流して「一文無し」という居酒屋で閉店まで呑む。ねむい。

2004-8-25 生態学会大会 in 釧路 (2)エコカップでこれ論師につきとばされる。
 生態学会名物サテライト企画、エコカップ(フットサル大会)に岐阜大学チームで参戦。チーム名は「う岐阜」。「う」は長良川の「う」である。宇宙船のウではないので注意が必要だ。
 ぼくはフットサル初体験(サッカーにしてもほとんど初めて)。ディフェンス係として試合に出た。1試合目はワケが分からないままに終了した。2試合目からはすこし要領がつかめてきて、相手チームのボールを持っている人が攻めにくいように、いやらしく立ち回ってみた。うまくボールをクリアできると気持ちがよいことを知った。
 かの酒井聡樹さんひきいる「ブランメル生態U46」と対戦。右サイドからドリブルで攻めこんでくる酒井聡樹さんを邪魔するように並走していたら、つきとばされた。すでにひざのバネが残ってなかったぼくはいともかんたんに転げた。転げながら、なんと大人気ないおっさんだと思ったが、考えを改めた。彼はサッカーのことを知り尽くしたベテランである。対してぼくはサッカー初めてのちょー初心者である。きっとぼくがセオリーやマナーを無視したよくないプレイをしたのだろう。試合はう岐阜の勝ち。やーい。
 エコカップの目的は研究者の親睦である。その目的にすばらしく適っているチームがあった。「日本水昆部」という水生昆虫研究者の寄せ集めチームだ。試合当日、メンバーが集合して最初にやったことが名刺交換だったそうだ。なんてラブリー。
 エコカップで惜しかったことがひとつ。エコカップ懇親会と学会初日の自由集会の時間が重なっていた。ぼくは泣く泣く自由集会に参加。あとで知ったが酒井聡樹さんは懇親会にでておられたらしい。つきとばされた真相をうかがうチャンスを失してしまった。
 自由集会は面白そうなのがいっぱいあってどれに行こうか迷った。外来種新法か、生物地理か、数理的手法と保全か。結局、数理的手法・保全をききにいく。むちゃくちゃ面白い話を聞いているのに、エコカップ疲れで途中爆睡。おしいことした。推移行列やベイズ推定について勉強する必要を感じた。
 自由集会がハネて、物質循環(MAFES)の人たちと飲みに行く。久々に筑波大鞠子研究室の学生たちとお話をした。鞠子先生は10年くらい前に海岸植物の発芽生態で論文を書いておられる。それで数年前から鞠子先生と海岸植物の話をしてみたいと思いつづけているが、気付いたら宴はお開き。しまった。また話しそびれた

2004-8-24 生態学会大会 in 釧路 (1)船上にて船足の速さに驚愕する。
 13年くらい前に敦賀-小樽航路を利用したときは所要時間約30時間、船中2泊を要した。二晩目の北極星が前日より高かったことに感動したものだ。いまは敦賀から苫小牧まで20時間ほどで船中1泊のみ。
 船の楽しみといえば甲板から海鳥や海獣やトビウオなんかを探すことだが、船足が速くなって強風にさらされるらしく、甲板は出入り禁止。なんだそりゃ。せっかくの船旅が魅力半減である。それでも強化ガラスの窓越しに双眼鏡をのぞいていたら、ミズナギドリ類らしき鳥(きっとオオミズナギドリ)や、ひょっとしたらウミツバメ類かなっていうようなシルエットを見ることができた。時速約50kmの俊足フェリーは鳥類とのランデブー時間が短く同定には至らなかった。
 日が暮れて苫小牧に上陸。帯広で一泊。

2004-8月はこうして過ぎていった特集。個人的メモなので、読んでもおもろくないです。
 8月2日の記憶
 ツクツクボウシ初認。夏が終章へ突入したということだ。ヒグラシこそ夏の終わりの象徴だと主張する人がときどきあるが、あれは夏の一日の終わりの象徴である。岐大ではアブラゼミが多くてクマゼミやミンミンゼミは少ない。ほとんどいない。岐阜駅近くの大宝禅寺の境内はなぜかクマゼミの大合唱だ。

 8月3日ごろの記憶
 ウンチョスをめぐる闘い、こんどこそ勝利。すてじろうがトイレで寝ないように策を練り、うまくいった。その策とは。トイレを掃除するときに、もっとも新鮮なひとかけらを残しておく、というもの。新鮮なひとかけらの上に寝るほどすてじろうは正気を失ってはいない。

 8月4日ごろの記憶
 D論中間報告。ぎりぎりまで修正をした。前々日の昼ごろまでに、発表に耐える程度までの修正は完了していたが、、、。これは性格の問題、あるいは病であろう。なおさんとな。中間報告は無事終了。同日、もっちゃんは最終審査を受けて、ぶじ合格。おめでとん。

 8月6日から7日ごろの記憶
 ソデのサイトの手伝い。土壌呼吸の日変化測定で一昼夜。高山の山の中。星がきれい。人工衛星も見えた。長く尾を引く流星ひとつ。あの光跡はペルセウス座流星群のそれであろうか、とおもってたら、正解。ペルセウスは12日が極大だった。朝の調査では足元からノウサギが飛び出してきておどろいた。そして日変化の調査を終えて、よるとしなみ、というやつを実感せざるをえなかった。くやしいったらない。

 8月9日から11日ごろの記憶
 学会用のポスターを作りはじめた。ある程度ネタを仕込んだので、直前のレッドスネークが降臨するまで寝かすことにした。この間にウラの自分によって熟成されることを期待する。

 8月10日の夜中、米原駅から自宅まで歩いていたときの記憶
 D論の総合考察の流れに関してひらめきがあった。忘れないうちにメモしようとしたが、端から揮発。完全にはメモしきれなかった。まあよろしい。なお、メモは研究ノートのこの日の項目にあるので、いつかこの日記をみる自分よ、よろしくな。

 8月12日から20日ごろの記憶
 論文を書く作業と引用する文献を読む作業を平行して。イントロ、マテメソ、リザルトまでは8割方書けて、ディスカッションのフローまでできた。でもここからが長い道のりになるにちげーねー。前に小泉先生に言われたことば。「デスクワークは9割終わったと思って半分」。しかしまあ、どんどんコンパクトになることよ。

 8月13日ごろの記憶
 北極からminacoさん(仮名)が帰国。すてじろう飼育係の大役を解かれ安堵する。すてじろうをあずかったお礼、ってことで北極の(厳密にいうとスバルバル諸島の)植物図鑑をもらった。A5版ハードカバー、pp184。検索表がついてる本格的なやつだ。きれいな花の咲くやつだけじゃなく、シダ植物イネ科カヤツリグサ科イグサ科ものってるやつだ。さいこーうれしー。周北極要素萌えー。

 8月16日ごろの記憶
 ひつじぐも初認。さわやかな秋風初認。ついに夏は去らんとしております。

 8月21日から23日の記憶
 学会のポスターを作る。イントロの流れが気に食わなくなって、いじる。いじったやつも気に食わなくなってまたいじる。何回かブラッシュアップを繰り返し、最後にこれでいい、とまあまあ満足いくイントロの流れができた。改良に改良を重ねた決定版である。おや、よく読んでみると、2ヶ月前に提出した講演要旨とそっくりではないか。2日間改良をかさねたあげく、それと知らずに2ヶ月前のイントロに落ち着くとは。リングワンデリング。僕の思考は遭難していたらしい。22日レッドスネークが現れて完成。23日に誤字やびみょうな体裁を修正して印刷。ポスターがかわいく完成。ついでにかわいい名刺もつくった。かわいいおじさん、って言ってもいまの若えモンにゃ分かるめえ。君に胸キュン、YMO。23日深夜、敦賀港を発つ船にのった。目指すは北海道。いにしえの北前船の走った海をゆく。

2004-8-01 sun
 とても悲しいお話をしなくてはならない。心を静かにして落ち着いて聞いてほしい。

 本日、われわれは、ウンチョスをめぐる勝利宣言を撤回する。

 あろうことか、勝利宣言を行った夜からすてじろうはトイレでウンチョスをするという行動を完全に放棄した。
 勝利宣言を出した日までは、朝僕が研究室にやってくると、トイレのなかに一晩分のウンチョス、そして床にはかわいいすてじろう、というのがおなじみの図式であった。ところが、勝利宣言を出した翌日からは状況が一変した。朝僕が研究室にやってくると、トイレの中にすてじろう、床には一晩分のウンチョス。いや、床にウンチョスがあるならまだよい。ときにはエサを入れる皿や、飲み水をいれる皿にウンチョス。
 おねがいだすてじろう。正気に戻ってくれないか。

 今日はプレゼンの修正作業。明日もそのつづき。ええ写真がどこかにいってもた。

2004-7-30 fri
 ウンチョスをめぐる闘いに勝利したことをここに宣言する。いまもたまにケイジ内のトイレ外にはみだしていることはあるものの、問題となるほどではなくなったので。
 最近、ぼくとすてじろうが気に入っているあそびがある。まずすてじろうに仰向けに寝てもらう。つぎに僕がすてじろうの前足をすてじろうの胸の上あたりにそろえて持つ。この遊びをラッコごっこと名づけた。すてじろう、ラッコの親戚筋にあたるだけのことはあって、なかなか堂々としたラッコぶりを発揮する。そのうち貝を買って来て本格的なラッコごっこに挑戦したい。すてじろうもやりたがっている。

 最近、ある友人から、このサイトの目的が「高尚と世俗や下品と上品の境界など存在しないという証明にある」と指摘された。ほほーと感心し、どれ僕のページのどこが下品でどこが上品なのか探してみようとおもって探し始めた。が、すぐに断念。なるほど境界が不明瞭だ。いや、それどころか、下品から上品というグラディエントすらここには存在しないように思える。上品下品というものは、ひとつの軸上に相対的に位置付けられるようなものではないのかもしれない。
 などと書いてみたが、本当のところ、ここでは下品しか扱っていない。これからもこの路線でいくぜ。レッツゲヒン。キーポン ゲヒニング。

 今日はD論中間報告の練習をセミナーでやった。いろいろと貴重なアドバイスをいただいた。これを参考に明日ブラッシュアップする予定。僕の研究は登場人物たる植物種が14種あって、これらの登場人物が好き勝手に振る舞うので初めて聞く人にとってはややこしくてたまらないはずだ。じっくり向き合っているつもりの自分ですらしばしば混乱する。これをすっきりと聞いてもらうための工夫をするのが私のやるべきことだ。なんだか楽しいぞ。みなさん、どうもありがとうございます。

 北極のminacoさん(仮名)からメールがとどく。北極の植物の写真が数葉。おもわず萌える。タカネマンテマのかわいらしいこと。タカネマンテマ。日本では文字通り高嶺の花だがさすがに高緯度北極では平地に生える。だから和名で呼ぶとしっくり来ないね、Silene。

2004-7-23 fri
 すてじろうとのウンチョスをめぐる闘いに僕は勝利したかもしれない。昨日、ケイジ内のトイレ設置場所を変え、壁とトイレの隙間がなくなるような方法で固定しなおした。今朝研究室に来てみると、すてじろうが夜中のうちに製造した5本のウンチョスすべてがトイレ内に行儀よくならんでいた。よっしゃ。ガッツポーズ。
 ケイジの外で遊ばせるときもなんとなくウンチョスをするタイミングが読めるようになってきて、床にGDIされる前にケイジに戻すことに成功しつづけている。そもそもケイジの外でウンチョスしないよう、まずウンチョスさせてから外に出すように心がけてもいる。
 この調子であと3日間くらい指定地域外ウンチョスが確認されなければ、勝利宣言を出そうと思う。勝てるか。

 論文のためのデータの精査、もう一つのデータセットも一昨日一旦完了とした。ここで、論文の作業は一旦手を休め、8月のD論中間報告と、生態学会の発表準備に入る。こちらは1週間くらいでめどをつけ、さっさと論文に戻る予定。ファイトおれ。

2004-7-22 thu
 今朝も研究室に来てすてじろうのウンチョスの掃除。今朝はケイジの壁とトイレとの間、約1cmの隙間にウンチョスをねじ込んでいた。器用な真似を。ケイジ内の反対側のすみっこの床板にはチョク糞。
 研究室にネコをつれてきた人がいて、すてじろうがそのネコと対面した。すてじろう、えらくびびってしまってふわふわに膨らんだ。しっぽなんか試験管をあらうブラシのようになった。人間なら全身鳥肌。すてじろう、そのあとびびってなかなかケイジから出てこない。昨日まで我が物顔で研究室の床をはしりまわってたのに、見えない敵を警戒しているようだ。あ、腰ぬけてる。あ、下痢してる。うーん、今後、ネコはすてじろうに面会禁止ということにしよう。

 流研の小泉研・秋山研が中心になって立ち上げたプロジェクトがCOEに採択された。「衛星生態学」と名づけられた新分野。ここで「衛星」は人工衛星を指す。月やガニメデは関係ない。人工衛星からのリモートセンシングと地表での様々な測定手法との融合によって生態系の諸現象を広域的に捉えようというものである。
 さて、人工衛星といえば僕はこの店を思い出す。僕の出身高校の近所だったので学校帰りによく食べた。この商品名がスプートニク1号を記念したものだというのは地元ではけっこう有名なトリビアである。僕がイタイケない高校生だったころはたしか1個50円だった。

2004-7-21 wed
 いま研究室にはフェレットがいる。飼い主のminacoさん(仮名)がフィールドワークでスピッツベルゲンへ行ってる間、僕が面倒をみることになっている。このフェレットは捨てられたか逃げ出したかで街なかをうろうろしていたところを拾得されたものだ。だから「すてじろう」と命名された。すてじろうは初めのうちこそきちんとトイレでウンチョスをするなど、なかなかのお利口さんぶりを発揮していたが、minacoさん(仮名)が旅立つ2、3日前から反抗期をむかえたのだろうか、ところかまわずウンチョスを残すようになった。そんなわけでここ数日、朝一番に僕がやっていることは床に残されたウンチョスの始末である。
 すてじろうがところかまわずウンチョスを置くようになったので、こちらとしては対抗措置を講じた。百均で灰皿を買ってきてすてじろうがウンチョスを置きそうな場所に置いてみたのだ。ところが効果はなかった。すてじろうは設置された灰皿をわざわざ遠くへ蹴り飛ばしてから床に直接ウンチョスをするのであった。
 フェレットはイタチである。イタチにとってウンチョスは縄張りを示す大切な道具だ。自分が去ったあとも縄張りを宣言しつづける、いわば分身である。その大切な分身を置く場所が簡単に移動するようでは問題があるだろう。もしかしたらすてじろうはサインポストを品定めするために、とりあえず蹴っ飛ばしたりしているのではなかろうか。蹴ってみたらうごいた。ここはだめだ。がりがり引っかいてもうごかないし、なんか目立つ。よし、こっちにウンチョス。そういう思考をしているのかもしれない。
 それで今日はすてじろうのケイジの中にあらたなトイレ(っていうかもともとのトイレ)を、ちょっとやそっとでは動かないように設置してみた。いまのところケイジの中にいる限りはトイレにウンチョスを置いてくれている。ただしケイジの外にでるとやっぱり床にチョクだ。一日に5回くらいウンチョスするようだ。
 なお、すてじろうの顔は小西真奈美に似ている。

 午後にセミナーを開催。もうすぐ学位に手がとどきそうなイナトミねーさんが学位審査のプレゼンの練習をした。聴衆からいくつかのアドバイスが出た。それはどれも僕にとっても役立つアドバイスだ。イナトミねーさんの学位審査の日に僕の博士課程中間報告のプレゼンをしなくてはならないのだが、まだ練習するまでになってない。あせった方がよいのかもしれない。
 大学院で勉強をしていて、とにかく一番大切なことだと感じていることは、目的を意識すること、だ。それは研究をすすめるときにもまとめるときにも、プレゼンをするときにも、どういう局面でもいちばん大切だ。考えを展開するにも批判をするにも結局それが下地となるからだ。今日のアドバイスもそれに絡んだものであった。

 アサヒコムの南極プロジェクトの記事が好きで時々読む。昭和基地で越冬隊に参加している記者のレポートが面白い。今日の記事で「昭和基地では極夜明けの初日の出が昇った」と知った。え?もう明けたの?と思った。というのはいまminacoさん(仮名)ほか数名がフィールドワークにでかけているスピッツベルゲンはまだまだ白夜の真っ最中だからだ。するってぇと何かい?もしかしてスピッツベルゲンって昭和基地よりも高緯度なのかい?
 地図帳でしらべてみた。
 あらっぽく地図を読むと、昭和基地は南緯69度くらいにあるようだ。一方、小泉研の人たちが出かけているスピッツベルゲンは北緯80度前後。うほー。すげー。なんかびっくりしたよ。植物生態学の小泉研が出かけるくらいだからスピッツベルゲンには植生がある。南極で緯度80といったらどんなところだろう。みずほ基地やあすか基地ですら70度とちょっとやのに。地図を眺めていて、南極と北極って案外対称ではない感じだということがわかった。それって南極は大陸で北極は海だから比熱がちがうとか、そういう理由かな。夏の流氷限界をみても北極は南極にくらべてうんと狭い。緯度で10度分くらい違う。ほー。そうであったか。

 で、もうひとつ。南極の地図をみていて「大和雪原」が出ていないことに気づいた。いまどきの地図には大和雪原は載ってないのか?そういう方針なのか?

2004-7-15 thu
 だいたい私はええかげんな人間である。大阪弁でいうたらまあぼちぼち、ウチナーグチならてーげー、タイ語でいうたらマイペンライ、イーグルス語でいうたらテイキッイーズィーといった具合に日々を生きている。こういう私なので今日が何曜日かとか細かいことはちょっとも気にしない。昨日の日々粗忽には火曜日と書かれてあって今日は木曜日と書いた。これは私の周囲で時空の歪みが発生したためであるわけはなく、ひとえに私が主観的に水曜日を欠落させたにすぎない。などとわざわざ書かなくとも懸命なあなたはお見通しであったことだろう。ちぇ。知らなかったよ、昨日が水曜だったなんて。
 昨日までに論文のためのデータの精査・整理がひとつは片付いて(ふたつのうちの一つはのこってる)、いま統計処理にかけようとしている。ええかげんな性格の私ではあるが、統計にかけるときにはちょっと神経質になってしまって、きりきりきりきりしている。
 発芽試験のデータがある。たとえばシャーレ1個に25個の種子で行う試験を3つのシャーレで行ったとしよう。種子は75個だ。この場合、とりうる値が「未発芽」「発芽」という名義尺度のデータが75個あるとみるべきか、シャーレあたりの発芽率という連続的データが3個あるとみるべきか。ピンク本には離散的データは%になおしたらあかん、と書いてあったはずだがどーなんだ。うっかりシャーレあたりの播種数が25個、24個、26個などと不ぞろいになってたりするのだが、これはどうやって処理するのが妥当なんだ。悩みは尽きぬ。
 こんな悩みが無尽というのはいささか馬鹿らしい。どうせ尽きないものがあるとするならば、それは研究のアイディアであったり、論文に対峙する集中力であったり、あなたから私への愛であったりしてほしい。とはいえ、こういう悩みこそが脳みそ筋を鍛えるのだ。 
だがしかし統計がわからんだなんてDmaxが口走ってていいのか。どうなんだサカイトオル。あん?

2004-7-14 tue
 こういんやのごとし。銀行員の矢野さんのウラの顔は博徒である、という意味ではもちろんなく、時間がすぎるのは早いですなあ、という意味である(いうまでもなく)。このことわざは光と陰をもって時間を、矢をもってその速度を表現しているところが、なんとも美しい言葉だと私は感嘆するのだが、そのまえに、時間はたしかに早くすぎるのであるということをまずはすなおに認識せねばならない。
 そう、時間はすぎてゆくのである。あなた、しってましたか。もう七月も半ばです。おえ。
 例によってここしばらく更新をなまけておったが、ノーニュウズイズグッドニュウズ、たよりのないのはよいたより、かどうかはわからない。研究室にあらたに登場したフェレットやら冷蔵庫の発泡酒やらに気を散らせつつ論文を書く作業。前に学会発表とか去年のD中間報告とかでまとめたデータを論文用に精査していたら、粗のあることあること。緻密さの足りなかった過去の自分を呪いつつ作業に邁進している。いっぱつできめとかんかい、あほんだら、とこういうのも教訓。明日への糧である。
 昨日はminacoさん(仮名)がD論中間報告の練習をした。いろいろと参考になった。おーきに。おいらもがんばろ。
 研究室のエアコンがこわれてしまって、みんな暑くてへばりぎみ。僕は暑いのも寒いのもある程度までは平気で気にならない。夏は暑いのがきもちいいし冬は寒いのが心地いい。エアコンが壊れても平気でいられるもうひとつの理由、僕は扇風機を持っている。2年くらい前に学内で廃棄予定だった扇風機をガメておいた。それが今役立っている。うれしいねえ。すずしいねえ。

2004-7-5 mon
 今日はe-learningたらいう形式で行われる授業のお手伝い。岐阜県内の大学が提携だかなんだかしていて、いくつかの授業をネットで配信するというもの。なんだかなー、って感じ。ふーん、へー、そうなんだ、って感じ。何を目指しているのか僕のような下々にはわからないが、とにかくそういうことを岐阜大学はやっている。へーぇ。ほーぉ。
 この講義では板書は歓迎されなくて、教員はパワーポイントたらいうプレゼン用のソフトを使って講義をすることとされている。どこがそうさせているかっていうと、われわれ下々には思いもよらないお上である。どこやねん。
 で、そういう講義のお手伝いをしているので講義を聴く機会に恵まれる。講義は大学の1年生対象のもの。これがなかなかどうしてプレゼンテーションの勉強になる。板書ですすめられる講義とはまた違ったプレゼン技術が必要のようだ。
 ここ2回講義を聞いていておもったことを箇条書きにしておく。これは、聞いていて、なるほど、こうするといいんだ、と思ったことと、うーん、こうしたほうがいいかも、と思ったことと両方含まれている。

・スクリーンに投影されたスライドで授業は進む。授業のスピードは板書よりかなり早い。内容をわかってて話す側と、はじめてその話を聞く側のギャップがとても大きい。講義をうけるがわの負担を軽くする必要がある。そのために、「とちゅうで休む」とか、「ときどき聞き手に対して、理解を助けるための質問を投げてみる」とか、あるいは「黒板にその日の講義で話す目次のようなものを提示しておいて、全体の流れのなかのどういう話をいましているのかが判るようにする」とか、「授業の最初に、その日の講義の目的、何を理解してもらいたいのか、到達したい目標、そういったことを明示的に示す」とか。

・パワポファイルでの授業では漫然と聞いているとポイントがわかりにくくなりがちな気がする。1枚のスライドにはひとつのトピックだけを盛り込み、そのスライドで一番伝えたいことをトピックセンテンスとして冒頭で明示するとわかりやすそうだ。スライド1枚には文章でいう段落を2つ以上ふくめてはいけない。逆、つまりひとつの段落を複数のスライドに分割する、は可。というより、分割せざるを得ないことが多々ある。ただしその場合、スライドが違っていても段落がおなじだとわかるような工夫は必要だと思う。

・話の本筋の部分とわき道の部分、その内容をよく知っている話し手には自明である。しかしはじめて聞く聞き手の側では、わき道なのか本筋なのか判別しがたい場合がある。だから、わき道の話をするときには、わき道であることがわかるような目印があるとよい。ところで、本筋から離れてでもしたいわき道は面白い話であることが多いなあ、と聞いていて思う。僕はわき道好き。

・研究しつづけている人が使うことばは、ときどき特殊な言い回しがあったりする。大学生相手の講義だから、聞き手は徐々にそういう言い回しに慣れていかなきゃいけない人たちだから、こういう講義ではそういう言い回しもオッケーだが、一般の人が聞き手となるような講演のときはふつうの日本語でしゃべるべきだなあ。いや、研究者にかぎらず、広く一般に通じる日本語と、業界内部あるいは組織内部だけのジャーゴンとが区別できないってことはよくあるっす。

・でも、いくら大学生とはいえ他学部のしかも1年生なので、前提となる知識についてはちょっと整理する必要があると思う。それをやったがために講義にもりこめる内容が少なくなるとは思うけれど。それでもええやん、と思う。どのみち深くて広い知識をみにつけるには講義だけじゃなくて書を読む必要があるのだし。

 以上、箇条書きおわり。あんまり箇条書きになってないっちゅうねん。


 それにしても、1年生って若い。どのくらい若いかというとモー娘。の平均年齢くらいじゃないかとおもわれるくらい。たぶん実際そうなんだろうけど。って、モー娘。の平均年齢なんか知らないけれど。知りたくもないけれど。いや、しかしいまごろモー娘。を引き合いに出してくるあたり、われながらオサーンくささがただよってますな。ちゃんと娘のうしろに句点をうったりするあたりもオサーンががんばってます感がただようし。それにしても最近モー娘。の人たち、影うすめ。このままフェイドアウトか。紺野あさみには生き残っていただきたいっす。
 いや、娘のはなしはどうでもええんです。問題は1年生です。若いってのはですな、受講態度です。僕もたいがい態度のよろしくない学生だったと思いますが、ほら、時代がちゃいますやん。いまの学生の主な構成種は、ちゃんとノートとりながら聞く人、爆睡の人、それとうつむいてときどき笑ってる人です。どれが優占種かは内緒にしときましょ。みっつめの笑てる人、はじめはアブナイ人かと思ったらちゃいますな。メイルしてはります。こちこちこちこちちっちゃいボタンをおしてなんか肩震わして笑うほどおもろいメイルをしてはるようです。どれ、おっちゃんにも見してみ、とかいうて注意したろか、と思ったりはしません。僕も大人やね。ふふふ。それに、運転しながらメイルしてる人にくらべたら講義ききながらのメイルなんか、もう、くらべものにならないくらい安全だし。
 さて、もうすぐ帰ろかな。帰るのは命がけです。なにしろ僕の帰る道にはメイルしながら運転しているイカレポムティの方が大勢いらっしゃいます。いっぺんひかれてみたろか、と思いますが痛そうなので実行してません。食い詰めたらやってみます。

2004-7-2
 ちまちまとタネを割って中をみたり、小泉先生の授業の準備を手伝ったり。あれ?なにか忘れてないか。

2004-7-1
 いったいどういうつもりかしらんが7月だ。窓の外からクチナシの甘い香が流れてくる。
 なんだか最近とってもむずむずする。なんでむずむずするのか考えていてフィールド欠乏症だと気づいた。まとめる作業をしていると、そのデータをとっていたあのころが、じりじりと焼け付く太陽が、波の音が、波と戯れるフジノハナガイが、徳島までの長いドライブが、テントをたたく雨が、スーパーの半額弁当が、手伝ってくれた人たちとの酒盛りが、コインランドリーの野良犬が、砂浜での夕立が、夕立のあと海にかかった虹が、夕暮れ時コマツヨイグサに訪花するスズメガが、そして愛すべき海浜植物たちが、つぎつぎと脳裏に浮かんできてフィールドへいざなう。  しかし、僕はフィールドにいくとその楽しさにおぼれる癖がある。それを自覚しているので今は出るべきではない。まとめることに楽しさを見出そう。
 今日はまとめる作業もあったが、さいごの発芽試験に供した種子の生残チェック。こういうちまちまちまちまちまちまちまちました作業は苦手だ。気を紛らそうとジュディマリとか金子マリをがんがんかけながら作業している。気がつけばうたっているのはどういうことか。口笛ふいたら種子が飛ぶし。
 本日のトリビア。金子マリは美空ひばりに触発されて歌手をめざした。まじで?下北沢のジャニス。







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